映画『ソロモンの偽証』14歳で『松子』という役を演じてくれた富田望生。その後も本格女優の道を歩み続け、ついに映画初主演。聞いて嬉しくもドキドキしながら東京国際映画祭に駆けつけました。心配は全く杞憂に終わりました。富田も映画も素晴らしかった。本当に繊細な表現が私を捉えて離しませんでした。そして最後のエンディングの彼女の表情からは未来への希望を感じることができました。
誰にもわかってもらえない、心の傷、辛さ、ずっしりと胸に打ち付けられました。少しの光があるものの、結局は自分との戦いなんだなと。でも今の私には受け止めきれないものがそこにはありました。
富田望生さんの俳優としての素晴らしさは、彼女の人間としての素直さにあると思います。
出逢った役柄が伝えたいことを、浸透させるための素直さ。
その力によって、役柄や作品が私たちにもスーッと浸透する。
この作品もきっと、富田望生を介すことによって、私たちの心に深く浸透するのだと思います。
こんなはずじゃなかった時
あたたかいはずの愛着 大切なはずの繋がりに
悲鳴をもたらすことがあるという事実は
とても怖いことだけれど。
そこから また生きる時
それでもある愛着と どうしようもないような繋がりが
時間をかけて 希望をもたらす力になるはずなんだ。
この映画と一緒に深呼吸をしてたら涙が出てきた。最初はよくある話だってバカにしてたとこもあったかもしれない。でも見ていくうちに自分がいて、友達がいて、家族がいた。なんで私だけって思ってたところが見ていくうちに癒されていきました。この映画を今見ることが運命だったかも。感謝です。
富田望生ちゃんから直接、是非観てほしい映画があると言われて観させてもらいました。
主演の小まめな宣伝かと思ったけど、観たらそら観てほしいって言うわと思うほどこの作品に込めた気迫が伝わってきた。
作中に出てくる「生きとったら色々あるもんなぁ」という言葉。
この言葉を、観ながら、そして観終わったあともずっと噛み締めてしまう。
やっぱり人間てそんな簡単じゃないよなぁ。
誰でもそうよなぁ。
だから一言一言大事にせなあかんよなぁ。
とにかく今は望生ちゃんに腹いっぱいご飯を食べさせてあげたい。
気づけば灯の耳になる。
家族の声、心の声、体の声、土地の声、傷の声。
一人一人の感情、それぞれの事情、様々な背景、全てを色濃く写して発される声という声が灯を介して傾れ込み、心と体が弾ける。
「私は私としてまた明日」
物語は続く。今この瞬間にも汽笛は港に鳴り響く。
この時代を生きていく他ない私たちの耳の中にも丸い汽笛の響きが残っていることに安堵して、灯と一緒に、今日も深く息をする。
「感情」と向き合いながら日々を進んでいく灯を見て、彼女のこれからの人生を応援したくなったのと同時に、前に進むことの正しさを教えてもらいました。「感情」は自分が見る世界を変えます。孤独である時、孤独を自分だけが感じるものだと捉えず、誰もが持っているものなのだと捉えると気持ちが楽になる私がいるように、灯もまた、自分自身の感情に寄り添い、見方を変えてみようとする新しい自分を受け入れていました。「ありのままの自分」を生きていくことにした彼女の姿に私は背中を押されました。
心の傷が癒やされる。
その過程を、深く傷ついた当人である
主人公・灯が生きる日常に織り込む形で、
ていねいに描いていく。
それだけで劇的であり、感情の浄化がある
というのが、私にとって驚きだった。
まじめでまじめで、だけれども
どんな娯楽作よりも楽しませてくれる。
映画作りの新しい可能性を見せてくれた一作、
それが「港に灯がともる」だ。